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「週刊現代」二月九日号、「スペシャルインタビュー美輪明宏」' 「私の遺言」が、ふと目にとまりました。取材、文は青木理氏。 実に、要を得た的確な文章です。
美輪(その昔は丸山)明宏さんは、私と同じ、一九三五年生れ。 昭和三〇年代のはじめ、大学生のころ、銀座のシャンソン喫茶 「銀巴里」に先輩が連れていつてくれました。そこで、二〇、二一歳前後の 美輪さんのシャンソンをはじめて聴いたのです。以後、シャンソンに夢中になりました。 美輪さんは、その中性的なところから、シスターボーイとよばれ、 なにやら、あやしいげなふんいきをかもし出していた。 私は、彼の中性的な点については、関心、興味はまったくないが、 なぜか、シャンソンは、こころをとらえて離さない。 なかでも美輪さんの「ヨイトマケの唄」は、好きだ。 後年、女子大学の学長になった私は、卒業していく学生たちのために予餞会で、 請われて、この唄をうたった。講堂の床板が抜けるほどの満場大拍手、大喝采をうけた。 さて、美輪さんは、写真は嫌い、言葉も、存在感すらも残したくないという。 財産、性別、まして肩書きなど、人間のなにものでもない。
作詞、作曲した「ヨイトマケの唄」は、貧しく、虐げられたりした者への讃歌だという。 長く放送禁止歌のような扱いを受けた。 昨年の大晦日、NHK紅白歌合戦に出た。なんの装飾もない黒の衣装。 芸歴六〇年以上、最高齢の初出場。その視聴率はトップクラスの45・4%だったといいます。 美輪さんの反骨精神、大和民族の復権、弱い貧しい者への徹底した愛情、 人間の本質の直視、プレない言動などなど、私の心情にもピッタリで、 いまさらながら、うれしくなります。 同年生の美輪明宏さんーこれからも、変らぬ気持ちを、この人の気骨に寄せていきたい。
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