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またつねに袈裟をかけて、坐禅すべし。 袈裟は第三生に得道する先躍あり。すでに三世の諸佛の 衣なり。功徳はかるべからず。坐禅は三界の法にあらず、 佛祖の法なり。 正法眼蔵道心 年号不レ記 〔訳〕 また、つねにお袈裟を掛けて、坐禅せよ。 お袈裟は、次の次の生(しよう)、すなわち第三生に仏道を悟ることが出 来たのがインドの蓮華色比丘尼(れんげしきびくに)。彼女は、遊女のとき、たわむれ てお袈裟をかぶっておどった縁によって悟ることが出来たという 先例がある(インドは三世観である)。 すでに、過去、現在、未来の三世のもろもろの仏たちの衣服で ある。その功徳ははかり知ることも出来ないほどである。坐禅は、 この世のおしえではなく、この世を超えた仏や祖師たちの真理で ある。
また、お袈裟を掛けて坐禅をする。お袈裟は、出家も、在家も、 掛けるのである。これが、道元禅師のお示しである。 坐禅は、仏さまのおしえである。禅宗の禅ではない。曹洞宗と か臨済宗の禅ではない。仏祖の正伝のおしえである。 坐禅は、すべてのはじまりであり、すべてのおさまるところで あります。 そういう坐禅が、「道心」の巻に説かれる坐禅であります。
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