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作詞家、作家の、なかにし礼氏は、がん治療の手術を受け、自分の死は時間の問題だと思った。寺をたずね、氏ご自身の遺体の焼き場や密葬の方法を決め、戒名も自分で「無礼庵遊々(ぶれいあんゆうゆう)白雲(はくうん)居士(こじ)」と決めたという(産経、平成28、11、11)。 私は、なかにし氏については、ほとんど知るところはないが、最近、道元禅師の「正法眼蔵」を読んでいるという週刊誌の記事を読んで、「おやッ」と目をこらした。 戒名は、本来、仏教に帰依し、生活の規律(戒)を実行するにあたって師から生前(ないし没後)に与えられる仏教徒としての名前である。 自分でつけた「無礼庵」うんぬんは、ペンネームといえばよいかも知れないが、戒名ではない。 なかにし氏は、寺をたずねたというが、そのお寺の坊さんは、戒名の意義について、なにも教えなかったのか。 昨今は、Y某のごとく、坊さんの子として生まれ、仏教関係の本をあらわしたり、講演をして生活をしながら、時流にのったのか、戒名、墓はいらない、葬式はしない、骨はバラまいてくれなどというのもいます。これは、その人の事情、お考えによるところですから、それはそれで、理解できるし、ご自由にということになるのだろうが、それにしても、ことの本質を無視して、まわりの人びとをおしのけ、自分勝手な戯言をたたいているということにはならないだろうか。
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