教育の一つのコツ きびしく、やさしく やさしく、きびしく
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144号
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「中学のサッカー部は、とても厳しかった。小学校で楽しく部活していた彼らと私たちに、大きなショックをもたらした。 最初の夏休みは負傷者が続出し、心配した保護者が苦情を出そうか迷いながら様子を見に行く日々。それでも「やめたい」と言い出す子はいなかった」。 「厳しかった指導に感謝したい」。 これは某新聞六月二五日の読者の母親の投書。 私は、「オヤッ」と目がひきつけられた。 このごろは暴力教師が否定的に多くとりあげられる時勢である。 私も、ながいあいだ中学、高校の生活指導の教師としてつとめたことがある。生徒たちは、私を「恐怖の東」とよんでいたという。学校一の厳しい教師だったのであろう。 それはそのとおりだが、私は、きびしく、やさしく、やさしく、きびしく指導していた。きびしいだけでは駄目だ。禅門ではこれを把住(はじゅう/きびしい)、放行(ほうぎょう/やさしい)という。分けへだてのない愛情を土台とする厳格でなければ、教育は成り立たない。 四○年以上経った今も、わざわざ大乘寺に教え子が私をたずねてきてくれるのはありがたい。
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