韓国と私との御縁 147号
 第二次大戦中、まだ国民学校(小学校)にもあがっていない私の家の近くに、朝鮮人の一家が住んでいた。そこの若い女性は、高級感あふれる服装で歩いていた。おそらく特権階級の一家か。
 当時、若い母親は、この朝鮮人家族と仲よくしていた。ある時、母親につれられて私はこの家族のところにあそびに行った。その朝鮮家族の一人が、私を呉れと言ったら、軽く、いいですよ、と母親は返事をした。
 私はしばらくそこの家族の一員としてすごした。そのまますごしていたら、私は韓国人になっていただろう。母親が一か月くらい、返してくれ、返してくれと哀願しに来て、わたしはつれもどされた。
 その後、五、六十年経って、韓国の仏教僧、仏教寺院となんども往来し、まじわりをむすび、かの国の人たちと仲よくなった。いやな思いをしたことがない。
 昨今、朝鮮半島と日本とのとくに政治的な関係はよくない。私は、この数年来、これらの問題に関する書物を二十冊ばかり購読した。
 それはそれとして、私のなかの韓国人はとても仲よしである。願わくば、おたがいが、おたがいをみとめあい、ゆずりあい、たすけあって、両国ならびに世界の平和へ貢献しなければならない。

戻る