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このあいだの「北陸中日新聞」で、古橋廣之進さんのことばが目に入りました。 1949年、私が小学生のころ、古橋さんは、水泳教室で、世界新記録をうちたて、「フジヤマのトビウオ」とよばれました。 敗戦の余波をうけてうちひしがれていた日本人は、古橋さんによって、どれだけ元気づけられたことでしょう。 古橋さんは、お腹をすかせながら、よごれたプールをふんどし姿で泳いでいたそうです。 「おいしいものを食べているから速くなる訳じゃない。 時には精神もカロリーになる。青春時代にスポーツをする時間は一瞬。集中してやらないと大物にならない。」 「人が5やるなら、自分は10やろう」 物質的には豊かになった時代、あえて後進に語りかける、と書いてありました。 「時には精神もカロリーになる」−いいことばだなぁ、と私は思います。 ある禅師の修行道場では、1日3食で1200キロカロリー程度、成人男性の1日平均摂取カロリーの60%程度という質素な食事です。 粗食、少量というのが、禅寺の食事です。 そして、いつも仏法を念じて生活していると、その力によって智慧の寿命を養う、それを念食(ねんじき)といいますが、いわば精神的な食べものを食べていると言ってよいでしょう。 食べものが、栄養学の立場だけからとりあつかわれていたり、あるいは、美食にかたむき、飽食に走っている現代の風潮は、悲しいことです。 「精神もカロリーになる」という古橋さんのことばは、なにか大事なことが示されているようにうけとめられました。
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