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平成十六年九月二日、私たちは、中国浙江省、径山万寿寺(きんざんまんじゅじ)へおまいりしました。 万寿寺は、海抜八百米とも一千米ともいわれる高山の奥深いところにあります。 杭州市のホテルからマイクロバスにゆられ、およそ二時間、千仭の谷に肝を冷やしながら、曲折した道を登って、ようやく到着し、定康監院さまのお出迎えをいただきました。 このあたり、径山茶、水煮筍で有名です。 径山万寿寺は、そのむかし五山第一位の格式をそなえた大寺院でした。 十三世紀、わが道元禅師は、おまいりされているようです。 つづいて、大乘寺ご開山徹通禅師(1219〜1305)もきっとおたずねになったことでしょう。 あの文化大革命で徹底的に破壊されたそうですが、一九八〇年代、九〇年代に、主として中国政府をはじめ日本の臨済宗、黄檗宗の皆さんの協力もえて、ようやく昔日の盛観をとりもどしつつあります。 道元禅師に師事したこともある臨済宗法燈派(ほっとうは)の祖・無本覚心禅師(むほんかんしんぜんじ・1207〜1298)は、長野県出身ですが、中国に入って、禅を学ぶかたわら、万寿寺で、未醤(味噌)の醸造法を習得しました。 大乘寺の事実上の第三世は、覚心禅師の高弟恭翁運良禅師(きょうおううんりょう)です。 覚心禅師は、べつのお寺で醤油のつくり方をおぼえ、日本に伝えたといいます。金山寺味噌もそうです。 あるいは、豆腐の製法もおぼえました。 そして、また、尺八の普化宗も将来しました。富山県高岡市の国泰寺(こくたいじ)は、覚心禅師の孫でしの創立です。 ですから、覚心禅師は、当時、一流の先駆的文化人です。 味噌、醤油は、日本の代表的な調味料、日本の味というべきでしょう。 ここで、私は、径山万寿寺に加えて、道元禅師、徹通義介禅師、無本覚心禅師、恭翁運良禅師らの先覚者たちのお名前をしのんだことでした。
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