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1月4日の「北国新聞」には、聖路加国際病院理事長の日野原重明さんが、「今日一日を精一杯、激しく生きようではありませんか」とよびかけていらっしゃいます。 「北陸中日新聞」では、作家の椎名誠さんの「僕は『頑張れ』って言葉が大嫌いです」とおっしゃっているのが目に入りました。 偶然にも、やはり同じ日の「産経新聞」は、ある雑誌の特集が、生き方に「がんばる派」「がんばらない派」の二派があることを紹介しています。 たぶん、仏教思想家の、ひろ・さちやさんだったと思いますが、だいぶまえに、「頑張る」というのは「我を張る」ことでもあるのだから、このましくないといった意味のことをのべておられたように記憶しています。 このごろでは、どうも「頑張らない」派が優勢のようです。時代の流れでしょうか。 「頑張る」とか「頑張らない」とか言っても、人によって、目的や理由、おかれている状況、世の中の動きなど、さまざまな背景、事情がことなりますので、一概には言えないとおもわれますが、どうでしょうか。 鎌倉時代の禅僧、道元は、中国で仏法の真髄を悟り、「眼は横に、鼻はまっすぐついていることを知った」とのべました。あたりまえの自分、なんでもない、肩の力が抜けた光景です。 また、道元は、仏法を学ぶには、「身命を惜しんではならない」「財宝をむさぼってはならない」「自分の考えにとらわれてはならない」ときびしく教えています。なまはんかな気持ちではついていけません。 道元は、「頑張る」ことも「頑張らない」ことも、どちらも大切だと説いているようにもうけとめられます。 どちらかにかたよったり、こだわったりするのは、よくないのでしょう。
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