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お釈迦さまは、みんなに説法をなさるために、高座におのぼりになります。 みんなは、お釈迦さまのおことばを、今か今かとまちかまえています。 すると、お弟子の文殊菩薩(もんじゅぼさつ)が、 「お釈迦さまのみ教えは、これこのとおりである」 そうおっしゃったのです。 なんと、お釈迦さまは、ひとこともおはなしにならないまま、高座からおりられたというのです。 このおはなしは、ちんぷん、かんぷん、なんのことなのか、おわかりにならないかも知れません。 ここで示されているのは、いま、ここ、この私たちには、すでに、このままで、仏の真理があらわれている。いや、私自身が真実そのものであることを知るべきだということであります。 そういうと、そんなバカな、この世はあまりにも矛盾にみちみちている、あまりにも悲しみ、悩みは多く、苦しみにみちあふれている。 これが、すでに、このままで、すべては真実だ、仏の真理があらわれているなど、とんでもないことだとおっしゃるかも知れません。 それは、たしかに、そのとおりです。 しかし、この苦しみ、この悲しみ、この悩みをのぞいて、しあわせ、よろこびは、えられない。むしろ、神、仏は、私たちに、このような悩み、苦しみを与えて、これを克服し、転換することによってのみ、生きていくことが出来ることを教えているといってよいでありましょう。すべては、変化しています。 私たちは、失敗をして、はじめて自分に気がつく。病気をしてはじめて自分に気がつく。自分にかかわるあらゆる事実にはじめて気がつく。事実はどうであるかに気がつく。 そして、ほんとうに生きていくということはどういうことかに目覚める。 私たちは、いま、ここで、すべては真実のなかにあること、ふしあわせはしあわせの前触れであることを感ずることが出来るのでしょう。
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