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若いとき、未来に不安を感じながらも、こんなふうに生きたい、あんなことをしたい、こういう職業につきたいなどなど、希望、理想、目標を描いたものでした。将来像としての夢です。 あの天下をとつた太閤、豊臣秀吉には、
露とをち 露と消へにし わが身かな 浪速のことは 夢のまた夢
と詠んだうたが伝わっています。 どんなに栄耀栄華をきわめても、わが人生は、はかない、むなしいものであった。「夢のまた夢」、夢まぼろしであったというのでしょう。人生は無常であったというのでしょうか。 それから、
憂きはひととき うれしきことも 思い醒ませば 夢候よ
という歌が、一六世紀に出来た 「閑吟集」 におさめられています。はかない、辛いばかりが夢ではない。うれしいことも、また、おなじく夢である。 つらいことも、うれしいことも、人生の一コマ、一コマ。ともに過ぎ去っていく。 誰かの句に
浜までは 海女も蓑着る 時雨かな
浜(人生の終り)までは、海女(私たちひとりひとり)蓑着る(毎日の生活のいろいろの工夫) 時雨 (世のしがらみ) かな。 ここには、夢という文字はありませんが、ありのまま、さり気なく、達観して生きていく、人びとの暮しのすがたがあります。
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