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昨年の暮れ、未知のかたですが、T氏という男性の遺言状が、全国紙に掲載されました。めずらしいことですね。 それによりますと、 T氏は、もともと神の存在を信じないから、形式的な葬式などしない。遺骨は残さないように、家族の者に遺言している。だから香典なども固くお断りする。 ざっと、こんな内容でした。 しかし、だとすれば、人知れず黙って死んでしまえばよいものを、なぜ、ぎょうぎょうしく遺言状などを出したのか。 この遺言状をよんで、いわゆる知識人たちは、大いになっとくしたのではないでしょうか。知識人ではない私でさえ、共感してうなづいた点が、いくつかありました。 しかし、一読して、私には、なにか違和感がわきおこってきたのです。 それは、この遺言状なるものは、ご自分の生き方、信条などがしるされてあるだけで、いや、それはそれでたいへん結構なのですが、大宇宙、大自然などなど、目には見えないけれども、私たちをとりかこんで、はぐくんでくれている大きな大きな力に対する言及が、まったくないではないか、生きてきたのはたしかにせよ、逆に生かされてきたということもあるわけで、そのことに対する実感、想い、視点が、決定的に欠落しているではないか、なにか変だな、と感じたことでした。 もちろん、これは単なる私の感想にすぎません。 世のなかには、さまざまな生き方があり、さまざまな死に方があるのですから、とやかく申すのも、よけいなこと、くだらないことかもしれません。
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