思いのままに生きる社会的存在としての自分
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第46号
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人間は、環境や社会の産物である。 そこで、この世の出来事は、すべて自分のせいではない。自分のしたことだって、自分の責任とは言えないというような、学校教育が行われてきているのでしょうか、人を惨殺しても自分がわるいのではないというケースが、このごろ多く見られます。 また、自分の考えをしっかりもつて、思ったことをどんどんやればよいという教育でも行われているのでしょうか、自分の好きなことや得になることはするが、損になることや気に入らないことはしない、どこまでも自分のわがままを優先して、自分を絶対化していく、そして、ひとに迷惑をかけないようにとか、ひとのためになるようにとかいった美しいことばだけが横行しています。 思うに、誰だって社会的存在です。社会と切りはなした自分などありえないでしょう。 誰だって、自分の損得も考えて生きています。 そんなことはあたりまえのことでしょう。 しかし、それがどうして、どこから、みんなが頭をかかえこんでしまうような、とんでもないことになってしまったのでしょう。 ある人は、教育とか、道徳とか、倫理とか、宗教の力が、いまほど、人間に与える影響を失ってしまった時代は無いとなげいています。 はたして、どうなのでしょうか。 こういう世の中で、どのように生きていったらよいのでしょう 自分というものは、いったいなんでしょうか。
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