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京洛、深草(ふかくさ)の興聖寺(こうしょうじ)の道元禅師のお弟子となったご開山は、ひとすじに仏道の修行に精進されます。 あるとき、道元禅師が、みんなのまえで、 「中国のある僧が言っている。 およそ、この世のありとあらゆるものは、このままで、このままの本性をあらわしている。このままの働きをあらわしている。 この世のすがたは、つねに、このとおりなのだ。 いま、さまざまな花花が咲き乱れている春の季節、やまうずらが、柳の木のうえで啼いているよ」 とおっしゃった。 このことばを聞いたご開山は、仏法の真実についての決定的な自覚をえられた。それで、いよいよ、修行が本格的になっていったと伝えられています。 ありのままの事実、そのはたらきは、たえずうつりかわり、たがいにかかわりあって現在進行形です。私自信も、このとおりです。 四年間の留学をおえて中国からお帰りになった道元禅師の第一声は、「眼横鼻直」(眼は横、鼻ほまっぐ)でした。 このような、ありのままの真実、はたらきが、仏法なのだということを、ご開山はおさとりになったのです。そこに、無限大にひろまり、深まり、高まっていく仏法の世界を実感されたのです。 近年、ご開山の宗教的生涯が、いろいろな人によっていろいろに説明されておりますが、ひとしくこの点を見おとしてしまっているのは、いわゆる画竜点睛を欠くものであって、実になげかわしいことです。 ご開山を仰ぐとき、ご開山の宗教的原点というか出発点を見失ってはならないでしょう。
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