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ご開山は、さきにも触れましたように、道元禅師に随従して、永平寺においでになられてからも、典座(てんぞ)とか、監寺(かんす)の役を命じられて、誠心誠意、おつとめになりました。 道元禅師が、お弟子であるご開山のお力を高く評価し、信頼されていたことがわかります。 こうして、道元禅師のもとでの修行が十年以上も経過しました。 しかし、また、道元禅師は、積年のご苦労のせいか、実は、おからだのご不調が出てまいりました。 京都の信者さんたちは、上洛してご療養なさるようにと、さかんにすすめてまいります。 そこで、道元禅師は、意を決して、京都へお出かけになることとなりました。 このとき、道元禅師は、ご開山に永平寺の留守職を任命されます。快復したら、永平寺に戻ってくる。汝に嗣法(後継者としてのあかし)を許すことを約束する。 「そして」 と、道元禅師は、ことばをついで申されます。 「汝は、仏法のため、永平寺のため、ほんとうによくつとめてくれる。そのことは、みんなが、よく知っていることだ。 けれども、惜しむらくは、汝には、老婆心(ろうばしん)が足りない。 まあ、そのうち、自然にそなわってくることであろうが―。 どうか、これから、忘れないようにつとめてほしい」。 これは、ご開山みずからがおしるしになっているのです。 いま、老婆心とは、ねんごろな親切心のことでしょうか。 ご開山は、あふれる涙をおさえながら、かしこまるのみであったと、ありのままにしるしてあります。 このところを拝読して、私は、万感胸にせまるものがあります。
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