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「おほかた、おろかにあしき人のことばを信ぜず、きかざるなり。また、わがこころをさきとせざれ。 ほとけのとかせたまひたるのりをさきとすべし。よくよく道心あるべきやうを、よる、ひる、つねに こころにかけて、このよにいかでかまことの菩提、あらましとねがひ、いのるべし」
上の現代語訳。 「およそ、愚かで悪い人のいうことばは、信ぜず、聞かないのがよい。また、自分の考えをおしたてては ならない。ほとけのお説き下さったおしえに従うのがよい。よくよく道心のあり方を、夜も、昼も、つねに こころがけて、この世において、是非ともまことの仏の智慧をもちたいと願い、祈らなければならない」。 道心を求め、仏法を学ぶにあたって、まず大切なことは、愚かで悪い人のことばを信じてはならない、 聞いてはならないことであるとお示しであります。 愚かで悪い人とは、どんな人を指すのでしょうか。 これは、実にむずかしい問題であります。なぜならば、みんな、それぞれもっている価値観が ちがうからであります。 しかし、私の道心を求めるこころが切実であればあるほど、愚かで悪いとはどんな人かということが わかってまいります。それが実際のすがたであります。 そこで、賢明で善い人に出会ったならば、自分のはからいを優先しないで、ほとけのおしえに従うのは、 自然の理でしょう。 「世間虚仮(せけんこけ)、唯仏是真(ゆいぶつぜしん)」(世間は虚仮なり、ただ仏のみ真なり)という 教えがあります。 仏法の道理というのは、いつでも、どこででも、だれにでも、なるほどとうなずくことの 出来るものであります。 ですから、このような普遍的道理を学ぶこころのありようを、夜となく昼となく、 こころがけて、ほとけの智慧をそなえたいと願い、祈ることにならざるをえないのであります。
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