『正法眼蔵』「道心」の巻(4) 第78号
 「よのすゑには、まことある道心者、おほかたなし。しかあれども、しばらく心を無常にかけて、
よのはかなく、人のいのちのあやうきことを、わすれざるべし。われは、よのはかなきことを、
おもふと、しらざるべし。
 あひかまへて、法をおもくして、わが身、わがいのちをかろくすべし。
法のためには、身もいのちも、をしまざるべし」。

上の現代語訳。
 「いま、世の末には、ほんとうの道心をもっている人など、めったにいるものではない。
けれども、こころを無常ということにかけて、世ははかなく、人のいのちはもろいものであるということを、忘れてはならない。けれども、自分は世ははかないものであるということを考えているなどと
おもってはならない。十分に心して、仏のおしえを重んじ、わが身、わが命を軽くするのがよい。
おしえのためには、わが身、わがこころを惜しんではならない」。

 道元禅師のころは、世も末であるという末法史観が流行し、自分は罪深く能力もない、
死後、仏さまにお願いし救っていただくしかないなどという考えが風靡していましたが、道元禅師は、
このような自堕落な甘い人生観、世界観はもちあわせていませんでした。ですから、ひとえに
道心をもつことをすすめました。この世の人生は一瞬の夢である、それゆえ、無常をかたときも
忘れてはならない。この真実の道理のためには、自分自身をささげることをおしんではならないと
お示しであります。

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