『正法眼蔵』「道心」の巻(10) 第84号
 「また、一生のうちに仏をつくりたてまつらんといとなむべ
し。つくりたてまつりては、三種の供養したてまつるべし。
三種とは、草座(そうざ)、石蜜漿(しゃくみつしょう)、燃灯(ねんとう)なり。
これをくやうしたてまつるべし」

 右の現代語訳。
 「また、一生のうちに、仏を造りたてまつろうとつとめるがよい。
そして、仏を造りたてまつったらなば、仏に三つの供養をたてまつるがよい。
その三つというのは、草座(出家僧が敷く長方形の布製の座具のこと。
釈尊にはじまる。一般には、組み糸を垂らし、草の葉にかたどった座具で法会のとき、
導師が敷く)と石蜜漿(氷砂糖を水に溶かしたもの)と燃灯(灯明のこと)である。
これを供養したてまつるのがよい。」

 ここで、仏というのは、仏像を指すのでしようか、仏を造りなさいと
すすめておられます。

 しかし、道元禅師ご自身が刻んだ仏像というのは、少なくとも、これまで、
私は見聞したことがありません。ただ、福井県越前市上小松の妙覚寺(道元禅師のご降誕を記念して、
後世、建てられた)のご本尊は、道元禅師のご木像ですが、これは道元禅師の自刻と伝えられています。
また、一葉観音を本尊とする観音寺(熊本県)には、道元禅師が船板に刻みこんだ観音像
があるとされています。
 それはそれとして、いま、仏つまり仏像を造り、仏に、草座、
石蜜漿、燃灯などおそなえしなさい、供養しなさいとお示しになるのであります。


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