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「また、この生のうちに、法華経つくりたてまつるべし。かきもし、 擢写(しょうしゃ)もしたまつりて、たもちたてまつるべし。つねに いただき、礼拝したてまつり、華、香、みあかし、飲食(おんじき)、衣服(えぶく) もまゐらすべし。つねにいただきをきよくして、いただきまゐらすべし。」
右の現代語訳。 「また、この一生のうちに、「法華経(ほけきょう)」をつくりたてまつりなさい。 いつも、「法華経」を頭上にいただき、礼拝したてまつり、書写したり、印刷したりして、 護持するのである。つねに丁重にいただき、礼拝し、お華、灯明、お香、灯明、飲みもの 食べものや、衣服をおそなえするのがよい。いつも、頭上をきよらかにして、 いただきまいらせるのがよいのである。」 この箇所も、読んで、さほどむつかしいところはないでしよう。 道元禅師は、たくさんのお経のなかでも、『法華経』がいちばん尊といとしています。 それゆえ、ここでも『法華経』をあがめ、尊とび、ご供養をしなさいと示されるのです。 道元禅師は、京都の俗弟子覚念の私宅でご遷化になります。 数えておおよそ五四歳。 このとき、禅師は、病床から起きあがって、室内を静かに歩き、低声に『法華経』 「如来神力品(にょらいじんりきぼん)」の一句を誦し、これを面前の柱に書きつけ、 「妙法蓮華経庵」と書きとどめられたのでした。
このように、道元禅師と『法華経』のご縁は深いものがあり、 主要著作『正法眼蔵』九五巻のなかにも『法華経』をとりあげて説いた巻がいくつもあるのですが、 ここで、もっとも注意を要するのは、道元禅師は、仏法のなかの『法華経』に注目して おられるのであって、『法華経』一経を局限化し絶対視して、 他の諸経を差別あつかいしないのであります。ここは、きわめて重要なポイントであります。
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