『正法眼蔵』「道心」の巻(12) 第86号
 「また、つねにけさをかけて坐禅すべし。袈裟は、第三生に得道する先蹤あり。
すでに三世の諸仏の衣なり、功徳はかるべからず。坐禅は三界の法にあらず、仏祖の法なり。

  正法眼蔵 道心

    (年号不記)」

 上の現代語訳。
 「また、いつもお袈裟を搭(か)けて坐禅しなさい。お袈裟は、第三生 (かってインドで
蓮華色比丘尼(れんげしきびくに)が、過去世において、遊女としてたわむれにお袈裟を
かけておどったが、その縁によって次の次のすなわち第三生に仏道を悟ることが出来たという
エピソードがある)に仏道を体得できたという先例がある。お袈裟は、過去、現在、未来の
三世のもろもろの仏たちの衣服である。その功徳ははかり知ることは出来ない。
坐禅は、欲望や物質的条件、精神的条件によってつくられたこの世の真理ではない。
この世を超えたところの仏や祖師たちの真理である。

  正法眼蔵 道心

     年号不記」

 この世で、真実に生きるというのは、坐禅をすることであります。
その坐禅のときは、必らずお袈裟をかける。道元禅師によれば、
それは、在家、出家にかかわらない。誰でも、お袈裟をかけて坐禅をするのである。
その功徳は、はかりしれない。

 この「道心」の巻は、おそらく直接には在家信者を対象として、お説きになった。
べつの写本によれば「仏道」という標題になっております。が、「仏道」でも「道心」でもよい。
在家でも、出家でもよい。問題は、我欲を捨てて、道心を発し、
仏道・道心の核心をしっかり把握することであります。

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