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さきごろ、作家井上ひさしさんが亡くなられました。 井上さんは、一九七一年、『道元の冒険』(新潮社刊)を世に問われました。 早速、購読しました。私なりの意見を出したがよいと判断しましたので、お手紙を書きました。 すぐにご丁重なご返事が来ました。一字一画をおろそかにしない活字のような文字がつらなっていました。まちがいのあるところは、すなおに認め、謝まってこられたのには、かえって恐縮しました。
昭和四六年九月四日、私は、先輩の太田久紀さん(故人。駒沢女子大学教授)と テアトル・エコー第四〇回公演『道元の冒険』を観劇しました。 奇想天外、とても楽しく、帰路、太田さんと会話は尽きませんでした。
一九八二年、五月舎発行の「新・道元の冒険」(五月舎31回公演_)のパンフレットが 後輩の畏友 桜井乗文(じょうぶん)さん(のちに世田谷学園校長となる)から届けられました。 桜井さんは「鎌倉仏教と道元」という一文を書いていました。桜井さんは、井上さんと 親しかったようで、井上さんは、私のことをいろいろ話しておられたとのことでした。
また同書に、井上さんは「改稿雑感」を書き、改稿にあたって、道元の生涯を調べなおし、 「只管打坐」これ一つが道元の精神であるとし、しかし、そのとおりいっぺんの語釈では、 何の役にも立たないとして、「……僧堂生活の平凡な日常行為のなかにこそ 修行の本質がひそんでいる……(東 鱆チ『道元小事典』春秋社)と述べて、 私の著書をとりあげて下さっていました。著者の私としては、うれしいことです。 それにしても『道元の冒険』が、その後、あまりとりあげられないらしいのは、残念でなりません。
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