藤澤清造と伊福部隆輝 第88号
 私は、長らく『北國文華』誌を、発行所の北國新聞社からご恵送いただいております。
私などの門外漢は、文字どおり、北国の文化に開眼させられる思いです。
 その2011年春号(第47号)には、七尾市出身の文士・藤澤清造(昭和七年没、四二歳)の
ことがとりあげられています。

 藤澤清造の没後弟子と自称し、尊崇する西村賢太氏(「苦役列車」で、
第一四四回芥川賞作家となる)の文章のなかで、藤澤清造の代表作とされる大正一一年「根津権現裏」の
「発表当時、島崎藤村や田山花袋、伊福部隆輝などが称賛し」うんぬんと
のべておられるのが目にとまりました。
 
伊福部隆輝すなわち伊福部隆彦先生には、若いころ、たいへん目をかけていただき、
昭和四三年、その遺言によつて、私が葬儀の導師をつとめました。
 伊福部先生は、生田長江の門下で、佐藤春夫や赤松月船とも兄弟のまじわりをもちましたが、
転じて、中国の哲人・老子を奉じて、結社「人生道場」を立ちあげました。
 「人生道場」は、いまも嗣子高史(たかふみ)氏が、また甥で詩人の霧林(きりばや)
道義(みちよし)氏が主宰する「人生行道」がそれぞれ継承しています。

 天折した少年詩人・増田晃、「姿三四郎」の作家富田常雄らは、先生が発見し、育てた人です。
先生は、その才能、天分を一瞬にして看破する天才であったとおもいます。
藤澤清造についても、また同様であったと言えましょう。
西村賢太氏のおかげで、藤澤清造を知り、伊福部先生を知りえたことは、
私にとって、このごろ、特筆すべき出来ごとであります。

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