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「オヤ?」と、思わず目が点になりました。 十月某日、ビル・ヴィオラさんとキラ・ペロフ御夫婦が、東日本大震災で壊滅的な被害をうけた 宮城県の某所を訪問しました。 お二人は、今年の高松宮殿下記念世界文化賞の絵画部門を受賞したビデオアートの先駆者です。 お二人のご希望で、受賞式の前日に、被災地を訪れ、賞金の一部を県に寄附されました。 新聞の記事とともに、お二人の写真が出ていました。そこには、私にとって、おどろくべき お二人のおすがたがありました。お二人は、被災地の沿岸部で献花し、合掌し、低頭して、犠牲者たちの 御冥福を祈っておられたのです。
このごろは、どうした風のふきまわしか、わが国では、こういう場合には、きまって黙祷ということばが 登場します。もちろん黙祷でもいいわけですが、以前にはあまりなかったことではないでしょうか。 黙祷という語の流行になにか違和感をおぼえるのは、私だけでしょうか。 それだけに、ヴィオラさん御夫婦の合掌、低頭のおすがたに、私は、むかしからの日本人のすがたを 感じとったのです。ヴィオラさんは、「人は必ず死ぬ」、「水は生命の源」、「生と死をくりかえしの 中で何ができるか」などとのべていらっしゃいますが、ここにも、仏教を感得しました。 津波で多くの犠牲者を出した地域の海辺で涙を流して立ちすくんでいたというおすがたに、 涙があふれ出て、とまりませんでした。
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