|
また、この生のをはるときは、ふたつのまなこ、たちまちにくらくなるべし。 そのときを、すでに生のをはりとしりて、はげみて南無帰依仏と、となへたてまつるべし。 このとき、十方の諸仏、あはれみをたれさせたまふ。 縁ありて悪趣におもむくべきつみも、転じて天上にうまれ、 仏前にうまれて、仏をおがみたてまつり、仏のとかせたまふのりをきくなり。
〔訳〕 また、この生涯を終るときは、双眼はたちまち閉じて、あたりは暗くなるであろう。 そのときを、すでにこの人生のおわりとこころえて、はげんで 「南無帰依仏」と、となえたてまつれ。 このとき十方すなわち東、西、南、北、上下、四隅のもろもろのみ仏たちが、 あわれみを垂れてくださる。 地獄、餓鬼、畜生の世界にむかうはずであった罪も、転じて、天上に生まれ、 仏前に生れて、み仏を拝みたてまつり、み仏が説いてくださる教えをきくのである。
ひとは、誰でも、自分にいちばん身近かな存在は自分です。しかし、 この自分はいったい、なにものなのか、自分にわかりません。 ですから、なにをどうして生きていくかも、わかりません。 そのうち、誰もが、みんな死んでしまうのです。なぜ死ぬのか、 死んだらどうなるのか、これもわかりません。 が、ともあれ、死ぬときは、「南無帰依仏」とおとなえしなさい。 そのとき、かならず、み仏があわれみを垂れて下さるとお示しです。
|
|
|