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昨年、十二月号「文藝春秋」で、宗教評論家Y・T氏は、 左のようにのべています。 「私自身、死んだら、葬式はしない、墓は造らない、遺骨は粉にして撒(ま)いてほしい」 これは、現在の仏教教団の葬式のあり方に対する、一種の不満のあらわれでもあると言います。
いま、八十歳過ぎのY・T氏は、お寺に生れ、戦争中は軍国少年、敗戦のときには マルクス主義に染まり、その後、もう一度宗教を考えなおそうと研究のみちをえらび、 宗教一般、仏教などを論ずる、いまや、売れっ子の評論家といわれているようです。 最近、今年の「新潮45」三月号に、「皇太子殿下、ご退位なさいませ」とのべて、 物議をかもしているらしい。
それは、ともかく、上記の葬式無用論は、実は大乗寺に、八、九年まえから、 毎日、午前四時すぎに、約三キロのみちを歩いて坐禅においでになっている 八十六歳の女性M・Tさんからおしえられ、先日、あわてて手もとの 『文藝春秋』のぺージをめくったことでした。 M・Tさんは、これまでY・T氏の著書、論説を愛読してきたのだそうですが、 さきの葬式無用論を読んで、急にがっかりして、いやになってしまった、 もう二度と読みたくない、話も聞きたくないとおっしゃいました。 お寺に生れ、お仏飯をいただいて育ち、宗教、仏教を学んで、 そして、その宗教、仏教を、いわばメシのタネにして、葬式無用論を 得意げに述べたてているY・T氏。 正しい仏教信仰のあり方をみずからも身につけ、多くの人びとに伝える 役割も担っているはずのY・T氏は、そのときどきの世の軽薄な動きに左右されて、 結果として、信心深い人の心をふみにじってしまっているということになるのかなあ。
葬式、墓塔のご供養は、いまさら私がいうことでもありませんが、なくなったお方、 ご先祖さまへの感謝、いまの私自身への反省、そしてあとにつづく者たちへの願い、 祈り、希望のまごころがこめられているー。 Y・T氏ご自身にとって、しかし、そういうことは、どうでもよいことなのでしょうか。
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